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2012/07/30

「夢大陸」南極に挑む 🌎

「夢大陸・南極に挑む」これは先日開催した講演会の演題である。友人の紹介で知り合った元南極観測船(砕氷艦)「しらせ」の艦長にお願いして講話会を開いた。日頃お世話になっているラウンジを借り切って約二時間、懇親会を兼ねての集いは実に楽しかった。宇宙・自然・環境といった分野に興味を持つ人たちと時間・空間を共有することはめったにないことである。
南極観測の歴史に始まり、晴海埠頭の出港式、暴風圏、南氷洋の氷山、昭和基地、ドームF、越冬隊の生活、などを親友の宝のもちぐれさ?のプロジェクタを使い、ママが用意した新品の?シーツに映しながら説明を聞いた。20数名の傍聴者(ほとんどお店の常連さん達!)から「ウオー」「ヘー」という驚きの声が度々上がるほど興味深い映像と説明が40分ほどあった後途中休憩となった。ここで南極の氷を使った水割りが登場するのであるが、これは以前「南極の氷」で述べた日本水産の後輩から時折取り寄せる希少価値のある「氷」である。アイスべき人たちがこのアイスを旨いといって飲んでくれる時「良かったなあ~」と思うと同時に、昔南氷洋のオキアミ操業の合間にゴムボートを降ろし氷山の欠片をかき集めウイスキーの水割りを楽しんだことを思い出す。
何万年か前の空気が弾ける音と味を楽しみながら主題のメッセージ「自然」「人」「動物」を聞きお開きとなった。環境こそ違うが同じ「船の指揮官」としての想いは心に響くものがあった。乗組員の生命を守り、目的を遂行する最高責任者には様々な決断を要求される。狭い船内生活(砕氷艦は200人、小生の船は100人)にも様々な問題が発生する。キッチリとした縦社会の軍艦でさえ人間関係のトラブルがあるわけで、海賊船?のような小生の船はなおさらであった。今思えば古き良き時代の思い出ではあるが。
今回の集いで、まだまだ多くの人に宇宙規模での地球環境、南極大陸の素晴らしさを知ってもらいたいと痛感した。

2012/06/07

天体ショー

金冠日食に続いて、金星の太陽面通過と盛り上がった天体ショーも一段落した。子供のころガラス片に蝋燭の煤を付け太陽を見上げていた時代に比べるとハイカラになったものである。光学機器メーカーのスマートなグラス越しに天空を仰ぎみる子供たちの姿は微笑ましかった。金星は内惑星(太陽と地球の間にある惑星)であるがゆえに満ち欠けをすることを観察した何割の人が知っているのだろうかとふと思った。せっかくのチャンスなのだからテレビ局は専門家を招いて宇宙のイロハ的な番組にしても良いのでは?どの局も空を見上げる群衆の画像ばかりを映し出していたが、昨今のメディアのお粗末さはこんなところにも表れている。
金星は大きさ、質量ともに地球によく似ている。太陽に近いため、大気の95%は二酸化炭素で覆われているため温室効果で表面温度が500度近くある灼熱の惑星である。公転軌道は太陽を中心にほぼ真円にちかく224日で一周している。自転速度は非常に遅く243日で一回転しているので公転周期より遅いことになる。特筆すべきは太陽系の全ての惑星の自転方向(地軸を上から見た時に反時計周りに回転している)が公転軌道と同じであるのに対し金星だけは時計回りに自転している点である。したがって金星では西から夜明けが始まることになる。金星が明け方と夕方しか見えないのは「最大離隔」と言う現象を理解しなければならない。金星が太陽から東方へ離れ日没後の西の空に見える時が東方最大離隔、太陽が西方へ離れ日の出前に見える西方最大離隔、この両時刻帯しか金星を見ることはできない。明けの明星、宵の明星たるゆえんである。金星の満月?(満金?)は太陽の反対側、すなわち地球から遠い位置にあるため明るさは左程ではないが、半月(半金?)の頃がもっとも明るくマイナス4等星程の明るさとなる。ある程度の知識を持って夜空を眺めると、特に惑星は天体望遠鏡で観察すると非常に興味深く、ついついその世界にのめり込んでいく。土星のリング、木星の縞模様など初めて見たときの感動は未だに宇宙への興味を抱かせ続けてくれる。
これまで二人の友人に愛用の天体望遠鏡を差し上げたが彼らから宇宙の話題が出てこないのは少々寂しい気がしないでもない。

2012/02/03

ブロッキング高気圧

北国の豪雪に関するニュースを何処か他人事のように見聞きしていたが、大分県でも最低気温がマイナス12度を記録したと聞いてびっくりした。冬のベーリング海、特にアラスカ湾では連日零下20度のなかで操業していたので寒さには慣れているつもりでいたが積雪と寒さが何日も続く現状を見ているとついつい「異常気象」と言う言葉が浮かんでくる。今回全国的に寒波が続いている原因はブロッキング高気圧である。30年近く前、甲種船長の海技試験の口述試験で「ブロッキング高気圧について説明せよ」と言われた事を思い出した。気象学は好きな科目だったし偉そうにペラペラ答えた記憶がある。天気が周期的に変わっていくのは偏西風の力で高気圧と低気圧が西から東へ移動するためである。この偏西風は常に一定の範囲で流れているわけではなく周期的に蛇行を繰り返す。この蛇行幅が大きい時流れの中にぽっかり空間が出来、そこに高気圧がはまり込むと東へ移動する空気の流れがないため長期間停滞することになる。「梅雨」と言う現象もこれが原因で起きるが今の季節は長引く寒波となる。徐々に高気圧の勢力が弱まるのを待つしかないのである。
この異常気象のお陰で太平洋側の冬空は晴れ渡る日が多い。一週間ほど前から素晴らしい天体ショーを見ることが出来た。夕闇せまる頃、鶴見山・由布山・久住連峰が夕焼け空にくっきりと浮かぶ姿は言いようのない美しさである。その上空には煌々と金星(ビーナス)が輝いている。そして1~2時間後、研ぎ澄まされた鎌のような三日月とそのすぐ側に木星(ジュピター)が現れる。そして金星が西の山陰に沈むころ三日月と木星の後を追うようにオリオン座が天頂近くに表れる。そしてその時刻、東の空には赤々と輝く火星とそのあとを追って土星が夜空に姿を現す。天空に興味を持つ者にとってはこれほど素晴らしいチャンスは滅多にない。寒波に苦しんでいる人たちには申し訳ないと思いつつ防寒着を纏い星空遊泳に浸ってしまうこの頃である。
春よ来い♪早く来い♪♪

2012/01/17

イタリア船の座礁

船を下りて20年になる。船舶の航海計器、システムも随分進歩しただろうなあと思っていたらとんでもない事故が起きた。海難事故でも座礁事故と言うのは稀にしか起こらないというのが通念である。湾内に投錨(アンカーを降ろし停泊してる状態)中の船が強風のためアンカーを引きづりながら浅瀬に乗り上げるか、航行中エンジントラブルで船が漂流し座礁するか位である。
小生が船乗りを引退する最後の航海は係船中の津田丸を三重県の造船所から山口県のドックに廻航するものであったが途中別府湾に寄り道をした。詳細な海図もあり、航海計器もレーダー、魚群探知機、ソナーを備え未知の海域といえども全く心配の余地がないのであるが、それでも用心して安全な場所までしか近寄らなかった。これが船乗りの常識である。嘗て南氷洋に二度行った事があるがテーブル型の氷山の間を縫ってオキアミの群れを探すときは神経を使った。きちんとした海図もなく、位置は一日に一回程度人工衛星からの電波を受信して大まかな位置を知るだけである。魚群探知機は船の直下の水深しか分からず、前方を照らすソナーは精々500メートル程度である。船の大きさにもよるが舵を切って船首が回頭を始めるまで相当な距離を直進するのが普通で、全速前進の船が全速後進(車で言う急ブレーキ)をかけて船が完全に停止するまで2キロ近くかかるので大型船の操船はそれほどのんびり?厄介なものなのである。島に接近するときはレーダーで位置確認をしながら探知機で水深をチェックしながら最大限の注意を払いながら航行しなければならず、今回の事故が如何に乗組員の不注意から起きたものであるか疑う余地はない。
それにもましてお粗末だったのは船長の行動である。小生の船乗り時代、駄目なリーダーは「何もセンチョウ」「何もキカンチョウ」と揶揄されていたが今回の船長はそれ以下の人罪!であったのだろう。船乗りの風上にもおけないこのような人間が居る「イタリア」と言う「国」そのものが危ないのも分かるような気がするのであるが。。。