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2014/07/30

無二の会・長崎

今年の無二の会は皆さんの第二の故郷とも言える長崎で開催した。恩師のお世話で思い出の詰まった地を訪れ楽しい二日間を過ごした。ゴールデンウイークの中日、野母崎の海の家に集合し一年ぶりの再会を祝った。ここは我々の学生時代、水産学部の実験場があったところであり、春・夏のカッター訓練の合宿をしたところでもある。部屋の窓からは正面に軍艦島が見渡せる絶好の地である。鉄分の多く含まれる温泉に浸かり、近くの海で捕れた魚介類を肴に昔の思い出話に花が咲いた。翌日は軍艦島クルーズ、少々時化気味ではあったが島をゆっくりと二週した。学生時代はカッターで野母崎港と軍艦島の間を漕いでいたが島の反対側までは行ったことがなかったのでその風景に感動した。岩崎弥太郎がこの島の持ち主だったというのも初耳であったが、クルーズ船の船長さんの説明にも味があり貴重な体験をさせてもらった。帰港後は権現山、脇岬の植物園、樺島の巨大ウナギ、樺島灯台まで足を運んだ。夕刻に長崎市内に戻りホテルで一服した後夕食の場である稲佐山に登った。多くの観光客に混ざりロープウエーで山頂へ、展望台のレストランで夕日が沈む長崎の景色を見ながら持ち込み禁止のビールを飲み日が暮れるのを待ちながら有名になったトルコライスを楽しんだ。久しぶりに見る長崎の夜景は実に素晴らしかった。学生時代は百万ドルの夜景と言われていたが今では世界新三大夜景になったとかで一千万ドルの夜景と呼ばれるようになったとか、それにふさわしい実に見事な夜景を堪能した。あっという間の二日間であったが恩師の心配りがいたるところに感じられ楽しい時間をみなさんと共有できたことにこの上ない幸せを感じた旅であった。昨年は我が故郷の大分が開催地であったが湯布院を散策したくらいで皆さんに申し訳なかったなあと後悔した。4年後には気合を入れて皆さんに楽しんでもらわなくてはと反省しつつ帰途についたが、「長崎は良いなあ~~」と改めて前日の風景と皆さんの元気な顔が何よりの慰めであった。

2014/04/18

韓国客船の沈没

お隣韓国で痛ましい海難事故が起きた。事故の原因は容易に想像がつく。そもそも客船や自動車運搬船の類はスタビリティー(船の復元性、安定性)が悪い。何故かと言えば復元性が良いということは船は常に垂直を保とうとして(傾いたら起き上がろうとして)揺れが大きく常に揺れている状態である。客船がそれでは乗り心地が悪いため敢えて重心を高くし「ゆっくりと傾き、ゆっくりと起き上がる」ように設計されているのである。船には「浮心」(浮く力)と「重心」(沈む力)がありこの距離の差が復元力に影響する。客船はこの浮心と重心の距離が極端に短くなるように設計されているので例え揺れてもユラ~~リ、ユラ~~リと心地の良い揺れ方をする。もうひとつの原因は船内に積載されていた車やコンテナのローリング(横揺れ)対策。普通は時化に備えデッキ上にチェーンなどでしっかり固定されているがこれがおろそかになると、ちょっとした揺れで車やコンテナが左右どちらかに移動する。一度傾くと起き上がるのにある程度の時間を要するため、起き上がる前(垂直になる前)に更に傾いた舷側に他の荷物が移動しついには起き上がれなくなる。海底に障害物がない海域でこのように突然船が傾く原因は一つ、全速で航行中の船が急に大きな角度で舵をとったときである。何か障害物を避けようとしたのか?それとも操舵輪と舵を結ぶ電気系統或いは油圧系統のトラブルで舵が効かなくなったか? 要は大きな角度で舵が動き、その遠心力で舵とは反対側に傾き、それによって船内の荷物が一気に移動し、起き上がれないだけの角度に達し、そこへ海水が侵入し沈没したことは明白である。数年前ギリシャの客船が座礁したさいキャプテンが真っ先に船を捨て脱出したことがあったが今回も同様なことが起こったとニュースが伝えていたが船乗りとしては最低、下の下である。遭難者の家族が泣き叫ぶ姿を見たが日本ではありえない光景であり、これが民族の違いかと思った。ただ女性のリーダーが為すすべもなく無能な顔を映し出されていたが、これは原発事故の際日本のリーダーがパニクって現場を混乱させたのに比べればまだましか?とも思ってしまった。まだ若き高校生が多数を占めるこの惨事、慰めようのない痛ましすぎる人身事故である。