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2005/11/01

海難事故

ここ数日、北海道沖で起きた漁船の沈没事故がニュースで取り上げられていますが漸く事故の真相がはっきりしてきました。比較的凪ぎの洋上であの程度の船舶同士の衝突では少なくともブリッジにいた当直中の士官・ワッチ要員は衝突時の衝撃を感じるもので、この事件はあくまでも「当て逃げ事件」だと断定できます。360度海又海の洋上で何で船同士が衝突するのだろうと疑問を持つ方も多いと思いますが「好漁場」には多くの漁船が集中します。小生が学生時代経験した鮭鱒(サケマス)事業では日本の船団だけでも500隻近い船が回遊中のサケマスを追いかけるわけであの広いベーリング海が船だらけと言った感じになります。スケソウ鱈操業ではもっと狭い海域に何百隻ものトロール船が集まって操業します。レーダーの20マイルレンジ(約36キロ四方)に百隻近い船舶が映るほどで、レーダーを覗くととても怖くて操業など出来ないほどです。今回のように航路上に漁船群が居ると大型船はその避航に神経を使います。一隻づつ避けていたのでは大きなロスになるし、進路を大きく変針することもロスになります。早い時期から相手船との相対関係を割り出し最小限の避航で衝突を回避すべく針路・スピード調整を行う必要があり今回のイスラエル船籍の大型船の当直士官はその業務を怠ったと言うことです。もっとも東京湾の様に航路上に釣り客をたくさん乗せた遊漁船が我がもの顔で縦横無尽に走っているようなところではいちいち避航等しておれませんので「ぶつかっても知らんぞ~」と言う感じで汽笛を鳴らしながら決められた航路上を航行します。彼らも心得たもので衝突の危険が迫るギリギリのところで「サッ!」と逃げていきます。釣り客は一様に我々を「コノ~~」と言った感じで睨むのが通例ですが、、、。予備知識?としてお教えしますが船乗りの習性として「針路の変更(むやみに舵を切らない)」をしたがらない癖?があります。それと慣例として舵を握るのは操舵手で船長は勿論士官は舵を握らないという風習もあります。ケープタウンからニューヨークに向け大西洋を横断するような航海では、途中行き会う船舶もほとんど居ないことから当直中に悠々と食堂へ食事に降りてブリッジは無人と言う状態のことも度々?ありました。それほど海は広いな大きいな♪♪なんですが、私のような大ざっぱな人間がよくも四半世紀を無事故で過ごせたなあと改めて感じます。近頃ではレーダーも発達し相手船をインプットしておけば相手船の針路・速力・両船の最接近距離を自動的に算出してくれます。私が航海士の時代は相手船を時間をかけてプロッティングしチャート上で相手の動きを推測して衝突回避の動作をとるかどうかを判断していました。技術の進歩は目を見張りますが基本を忘れると今回のような事故に繋がることを現役の船乗りさんは肝に銘じるべきだと思います。

アルキメデスの原理

船は沈むもの、飛行機は落ちるものと信じてやまぬK君のために再度、鉄の塊みたいな船が何故浮いているのか、何故沈まないのかを説明します。飛行機はエンジンが止まると落ちますので説明は省略。さて皆さん、「アルキメデスの原理」という言葉を中学生の頃習いましたよね。「液体中に沈めた物体には重力のほかに上向きの力、即ち浮力が働く。浮力の大きさはその物体に押しのけられた液体の重量と一致する」これがアルキメデスの原理、すなわち船が浮く原理です。プールや海で泳ぐとき自分の体重が軽くなるのを誰でも感じると思いますが、あれは水に浸かった自分の体の体積に相当する水の重量分だけ軽くなるからで、船も全く同じ事が言えます。つまり箱形の鉄の塊はその鉄の重量と浮力が等しくなる深さまでしか沈まないのです。船体重量が大きくなれば水線下の面積が大きな船になり(軍艦等)、容積の割に船体重量が小さな船(自動車運搬船、客船等)は見た目の大きい船になります。ちなみにアルキメデスはこの原理を入浴中、湯槽に浸かり水が溢れ自分の体が軽くなることで発見したそうです。溢れ出る湯の量で体重の増減を気にするようになった小生もアルキメデスに近づいているのかも?しれません。。。K君に聞いてみないと分かりませんが船が怖いのは「揺れる」からではないかと思いますが何故船は揺れるのでしょう。答えは簡単、あれは沈もうと思って揺れているのではなく起きあがろうとして揺れているのです!科学的用語?で言えば「復元力」が働いていると言うことです。船体が静止状態の時は重心と浮心(浮力の中心)は鉛直線上にあり重力と浮力は釣り合っています。風や波で船体が傾くと重心は変化しませんが浮心は傾いた側に移動します。厳密に言えばメタセンター(浮心を通る鉛直線と船体中心線との交点)より下に重心がある限り船には復原力が生まれ常に静止状態になろうと揺れ続けるわけです。客船や自動車運搬船のように揺れがひどくては困る様な船は復原力を小さくし揺れの周期を緩やかにします。さて皆さん、我が東洋サッシ工業の復元力は如何ほどと思いますか?企業は船です。船は何時も凪の海を航行しているわけではありません。荒波に直面したとき、企業を立ち直らせる「復元力」は皆さんの「英知」と「やる気」です。このどちらかが欠けても転覆(倒産)します。音を上げたらお終いです。一端沈んだ船は浮き上がっては来ません。我々は素晴らしい船を持っていることを忘れないでください。その名は「フレンドシップ」です!!

2005/10/05

船の速力

毎週火曜日の21:00から始まる「海猿」と言うドラマを楽しみに見ています。ブリッジや船室の様子を見るたびに昔の船乗り時代を思い出すからですが嘗ての職業柄か?この巡視船の速力は相当遅そうだなあと思っていたら案の定ドラマの中でも「退役」が決まったと言うことで、なるほどなと思いました。
蒸気船の出現で帆船時代に別れを告げた船舶の推進力はその後の時代の変遷とともに急速な発展をしました。推進機関別に船舶を分類すると外輪船、スクリュウー・プロペラ船、ウオータージェット船、エアクッション船、リニアモーター船などがあります。原動力で分類すると帆船、機帆船、蒸気タービン船、ガソリン船、ディーゼル船、原子力船に分けられます。私の乗っていたトロール母船のスピードは最高速度18ノット(時速30キロ程度)でしたが現在の最新鋭の駆逐艦は40ノット(時速80キロ程度)近くのスピードが出ます。船のスピードは船体の水に対する抵抗と推力の相対関係で決まりますので原子力船だからといってスピードが出るとは限りません。水の抵抗を少なくすることでスピードアップしたものにホーバークラフトがあります。空気を真下に噴射し船体を浮かせることで水の抵抗を排除し後部船上にあるプロペラの推力で前進するため時速100キロ以上のスピードが出るわけです。航空母艦は戦闘機が高速で着艦するため相対速度を軽減させるためにはある程度のスピードが必要となってきます。5万トン級の母艦は戦闘機の着艦時は35ノット程度の最高速力で航走しそれを追いかける形で戦闘機が着艦します。300メートル程度の飛行甲板ではそれでも着艦距離が足りず「ストッパーワイヤー」に戦闘機のフックを引っかけ止まる仕組みになっています。陸上の時速30キロと言ったらかったるいスピードですが海の上では可成りのスピード感があります。特に洋上での船同士の接舷や港での着岸時は対象物に近づく程自分の船のスピードが怖いほど速く感じられます。何せ自動車のように急ブレーキがかけられないのですから。私の乗っていた竹生丸は全速前進から一気に後進全速に切り替えて船が完全に停止するまで約2キロ航走します。タイタニック号が氷山に衝突する場面を映画で観た方はお分かり頂けると思いますが船というのは左右に曲がったり止まったりバックしたりがとても自動車の様にはいかないのです。
船は沈むものと怖がっているK君、これを読んで我が意を得たり???

2005/09/05

七つの海

先日北海道に出張した際、宿泊先のホテルの前に「石原裕次郎記念館」があり立ち寄ってみました。記念館の敷地内には裕次郎の愛艇「コンテッサⅡ」が飾られていました。館内にも洋上でのスナップが多数あり裕次郎も海が好きだったんだなあと改めて思いました。
良く耳にする言葉に「七つの海」と言うのがありますがどの海を指して言ってるのか知っていますか?
これには色んな説がありますがキャプテン池辺の説を紹介します。「北太平洋」「南太平洋」「北大西洋」「南大西洋」「南氷洋」「インド洋」「地中海」を指して「七つの海」と呼ぶのが通例になっています。オーシャン(ocean)と呼ばれる海が七つの海に当てはまります。これとは別にベーリング海や東シナ海などはシー(sea)と呼ばれ島や大陸に囲まれたやや狭い範囲の海を指します。世界の海は千差万別でその海独特の顔をしています。日照時間、プランクトンの量、周辺の島々、海流・潮流などの影響で水温、海の色、透明度等々それぞれ特色を持っています。小生は七つの海全てを航海した経験がありますが「黒海」「カリブ海」等「SEA」と呼ばれる海には未だ行ったことがない海域がたくさんあります。地球は銀河系の小惑星と言われますが遙か遠くに輝く星空を見て地球は大きな星だなあと大西洋を横断中(ケープタウンからニューヨークに向け航行中)当直中の船のブリッジで物思いにふけったことがあります。学生時代の遠洋航海で行った南太平洋の海の美しさ(降り注ぐ星空も負けじと美しかった)、神秘的な南氷洋、大時化の北大西洋、等々15年前に陸に上がった河童だというのに訪れた海を今でも思い起こすことが出来ます。仕事から引退したらのんびりと船旅でもう一度「七つの海」に逢いに行きたいなあと思います。
今宇宙にいるスペースシャトルから見た地球は本当に綺麗ですねえ。特に海は!!

2005/08/02

進水式

いよいよ夏も間近、今月18日は「海の日」と言うことで今回は船の進水式についてのお話です。
船を建造するにはその船を載せる台、すなわち船台(進水台)が必要です。一般的に船台は水面より高い地上に置かれ海に向かってある程度の傾斜(斜めに下がっている)を持って作られています。進水台は二組の重く堅い木材で作られています。新船建造の第一歩はこの上にキール(船底の中心になる人間で言う背骨に当たる物)を載せることから始まります。二組の進水台の一つは「固定進水台」と言い建造作業をする場所から海の中まで真っ直ぐ伸びている動かない台です。もう一つは「移動進水台」と言って固定進水台の上に置かれている物で船底が直接接している台です。船が進水するときは船と一緒に固定進水台の上を滑っていく物です。ある程度艤装が進むといよいよ「進水式」です。先ずキールブロックが外され、固定と移動の両進水台に潤滑油が塗られます。最後に進水台を止めていたスパイクなどの留め金を外すと船は自重で滑りながら海に入っていきます。船上ではこういう作業を知ってか知らずか(多分何も分からずに?)船のオーナーやそのお嬢さん方が軍艦マーチ(何故かバックグラウンドはこの曲が定番でした)を合図に、金ぴかの斧でロープを切るという儀式が行われます。別にロープが切れたから船が滑り出す訳ではなく、この儀式を監視している係りの人が下で作業をしている人に指示を出し、斧でロープが切られた瞬間に最後の留め金を外す仕組みになってるのです。艤装中の船が海に浮かぶとき普通ならば水平に浮かぶ筈ですが艤装というのは船が船台を降り海に浮かんでからも色んな装備をするため、あらかじめバランス計算をし船が水平を保つようウエイト調整をします。これをミスると勢いよく進水した船が傾くという失態を演じるわけで小生が佐伯造船所で艤装中、これを目撃しました。凄かったのはこれを見た当事者(佐伯造船所のスタッフ)がケロリとして「珍しいことではない」と言った顔つきをしていたことです。当時の佐伯造船所のレベルがどれ程のものであったか?後に倒産の憂き目に合うのももっともな話ではありました。これとは逆に長崎の三菱造船所で建造された軍艦武蔵が進水した際、鶴の港と言われる長崎港のこと、水面が足りず勢い余って対岸の出島岸壁に船尾が接触をしたそうです。その時損傷したのは武蔵の船尾ではなく出島の岸壁だったそうで、一躍日本の造船技術・三菱造船所の名が世界に認められた事件でもありました。その三菱造船所でもイギリスの豪華客船が完工を目前に船火事を起こしました。JR事故同様「採算重視」の弊害と言うか、大切な「精神」が失われつつある時代を象徴しているように思えます。会社の「理念」「指針」のしっかりしていない企業に将来は無いと言われるのは当にこのことです。我々もしっかりと大地に脚を付けて地道な努力をしていきたいものですね。

2005/07/05

指揮系統

先日の日曜洋画劇場で「K―19」というロシアの潜水艦を舞台にした映画が放映されていました。ハリソンフォード演ずるロシアの最優秀原子力潜水艦の艦長が原子炉の事故で艦や部下の命、さらには国や世界を原爆の脅威から如何にして守ったかという内容のもので、嘗て小生が船長として乗船していた津田丸の火災事故を思い出しました。生命の危険と背中合わせの仕事、さらには利潤を追求する事業船というのは「指揮命令系統」がきちんと確立・実践されるようになっていなくては旨くいきません。一端事が起これば「じっくり考えて、、、」なんて悠長なことは言っておれません。船長の一瞬の判断ミス、決断の遅れが致命傷となるからです。すなわち企業に大損害を与えるだけでなく乗組員の命やその家族を路頭に迷わせることにも成りかねないからです。そのための備えの基礎となるのは「日常のシミュレーションの反復」です。大時化の時エンジントラブルで船が横波を受けたとき、舵が故障したとき、機関室・船倉・居住区などでの火災発生時の対応、人身事故、操業に関する戦略やトラブル等々「こうなったら、こうする」というようなことを暇さえあれば考えて緊急事態に備えなくてはいけません。事故は往々にして「予想もしない」原因で発生するものです。日頃のシミュレーションの範囲内での事故でさえ的確な指示を即座に出すことは難しいものです。ましてや予想外の事故に直面したときの指揮官の判断と決断の重要性は計り知れないものがあります。機関部・甲板部・司厨部・事務部・製造部にはそれぞれ機関長・一等航海士・司厨長・通信長・工場長といった各部のリーダー(サロン級士官)が居ます。その下に士官・下士官・部員といったスタッフが居てピラミッド型の組織が構築されています。100人近い乗り組み員を統率して行くうえで一番大切なことは「全員に共通する目的をはっきり認識させること」です。「一人の落伍者もなく全員が元気に帰国すること、他船よりも好成績を上げ収入を多く得ること」そのためには一人一人が何を成すべきかを「言葉で、態度で、職権で」全員に認識させることです。指揮官の方針はピラミッドを順次下っていくように直属の部下に伝達していく仕組みを構築すれば仕事は旨くいきます。封鎖的な船内生活をスムーズに遂行するため「指揮命令系統」を始め船の世界ではいろいろと工夫された慣習が多々あります。そしてこれらは全て陸の世界でも通用することをキャプテンは河童になって初めて知りました。人は皆平等、職位で人間の価値が決まるものではありません。与えられた部署で如何に力を発揮するか、発揮できるかがその人の「人間としての評価」「仕事人としての価値」なのです。我が社の社員が得意先や業者の方々から褒められたときの喜びは何物にも代え難く「同じ釜の飯を食う」仲間の評価点を出したり給与決める重たい作業から一瞬なりとも解放されます。
皆さん!良い仕事をして素晴らしい絆を築いていきましょう!!

2005/06/01

灯台

皆さんが港で見かける灯台には赤灯台と白灯台がありますが、これにはルールがあります。水源(海から見て陸地側)を背に左手側に赤灯台(光は赤色光)、右側に白灯台(緑色光)が設置されています。岬には白い灯台が設置されていますが雪の多い地方などでは灯台が白くては確認し難くなるので黒や赤の横縞を入れた灯台もあります。夜間真っ黒な海に点いたり消えたりする灯台の光にもルールがあります。暗い海では灯台が同じ光り方をしていると位置が分からなくなりますので灯質(光り方)を変えて何処の灯台かを知る仕組みになっています。閃光と言ってパッパッと光るものや群光と言って光りを放つ長さを長短で表したも、この二つを組み合わした群閃光などがあり、更にそれぞれ色分け(白色・赤色・緑)をして何処の灯台かを識別出来る仕組みになっています。
これらは「灯台表」と言う本に告示されています。現在は高性能のレーダーやGPSが発達しているためいちいち灯台の光を確かめて航行する船はまず無いと思います。小生の学生時代、遠洋航海で外国の港に入港するときは予め灯台表で灯質を調べておいてレーダー位置に間違いがないかを灯台の光と方位で確認すると言った実習をしていました。航路標識は大きく分けると三つに分類されます。①光波標識②電波標識③音波標識です。①の光波標識には岬や島や防波堤に建っている「灯台」、船が座礁しないよう浅瀬や暗礁に建っている「灯標」、浅瀬や暗礁のある海の上に浮かんでいる「灯浮標」、暗礁や防波堤を照らして危険を知らせる「照射灯」、港への進入コースを知らせる「導灯」等があります。電波標識には中波無線標識、マイクロ波無線標識、ロランC、GPS等があります。音波標識とは霧や雪で視程が低下したときに大きな音(霧笛や鐘の音)を出して船に位置を知らせるものです。「喜びも悲しみも幾年月」と言う灯台守の生涯を映画化した作品を知っている人は小生の年代位までかもしれませんが昔の灯台守(海上保安庁の職員で灯台を守るのが仕事)が苦労した事を映画で知っていた小生は灯台の光を見るたびに切ない思いに駆られたものです。瀬戸内海を夜航行すると灯台や灯浮標が左右両舷を幾つもいくつも通りすぎて行くのを見ることが出来ますが正に旅の旅情を否応なしにかき立ててくれます。船首が波を切る音とそれによって出来る夜光虫の帯、静かに寂しく光る航路標識や夜間航行中の船舶の灯火、、、是非皆さん一度瀬戸内海を船旅してみてください。見渡す限り海又海の南氷洋やベーリング海から帰国の途中最初に見る灯台も何とも懐かしく美しいことか!緑濃い岬にそびえる真っ白な灯台は本当に心が和みます。
 「船は沈むもの」と信じて疑わないK君、船はJRよりも安全です、キャプテンが保証します!

2005/05/09

地震と津波

昨年暮れの信越地震、スマトラ沖地震、玄界灘地震と立て続けに大型地震が発生していますが、これは地球が生きる惑星の証明でもあります。ところでニュースでよく耳にする「マグニチュード」と「震度」の違いを知っていますか?両方とも地震の大きさを示す基準ですが「マグニチュード」は地震の中心点で放出されるエネルギー値であるのに対し、「震度」は観測地点の表層での地震の強弱値ですので震源から離れるほど「震度」の数値は小さくなります。
 「マグニチュード」は1~9までの段階があり「震度」は0~7までを10段階(震度5と6を更に強・弱で分けている)で表示されています。地震の種類は「構造性地震」「火山性地震」「人工的地震」に分類されます。地球はその誕生から4回の氷河期と間氷期を繰り返して現在にいたっていますがそれほど長いスパンで地球内部は動き続けているわけです。
 「津波」は英語で「tidal wave」と言いますが現在は通称「tsunami」で呼ばれています。その多くは環太平洋地震帯で発生します。1960年のチリ沖地震で発生した津波は太平洋を一気に渡り三陸沖に達し5メートルの波高を観測しました。波速は時速700~800キロと言うとてつもない早さで伝わって行きます。大洋では50センチ程度でも陸岸に近づき水深が浅くなると波高は一気に上昇し、更にリアス式海岸などに進入してくると10メートル以上の波高となって襲いかかってきます。これと同じような現象に「高波」がありますがこれは台風などの強風のため風圧と気圧の低下が原因で潮位が上昇するため「風津波」と呼ばれることもあります。
 小生が大学4年次に「社船実習」で鮭鱒事業の母船に乗船していたとき、外洋で津波を経験しました。昭和43年5月、鮭鱒漁場のアリューシャン列島~ベーリング海にむけ函館港を出港した翌日のこと、一万トンの母船の船体がブルブルと震動しエンジントラブルかな?と思ったのが「道東沖地震」の津波によるものでした。前夜まで賑わった函館の飲み屋さんは軒並み店の中が全滅状態になるほどの地震だったそうですが洋上では「アレッ?」と言う程度でした。蓄えられたエネルギーが放出するときのパワーは凄いものです。我が社ももっともっとエネルギーを蓄え放出出来るよう頑張りたいものですね。蓄積エネルギーを持っている人は出し惜しみするなよ~。

2005/04/05

烏賊(いか)

一月号のタコ編は如何(イカが)でしたか?
てなことで今月は烏賊についてのお話をします。烏賊の種類は約500種類、日本近海には130種類程の烏賊が生息していると言われています。大別すると「コウイカ」と「ツツイカ」に分けられます。「コウイカ」は石灰質の甲をもち身体は楕円形でその周辺にヒレが付いています。モンコウイカ、シリクサリ、スミイカと呼ばれる烏賊がこれに属します。「ツツイカ」は甲が薄く木の葉状をしており胴体は筒型でヒレは菱形をしています。ヤリイカ、剣先烏賊、アオリイカ、マツイカ、ミズイカ、モイカと呼ばれる烏賊がこれに属します。烏賊の血は青色をしています。人間の血は鉄分を含んだヘモグロビンのため赤色ですが烏賊は銅を含んだヘモシアニンと言う色素が入っているため青色をしています。甲は中骨と言って蟹やエビの甲羅と同じ成分ですが純度が桁外れに高く手術用の糸(抜糸しなくても身体に溶け込む)や人工皮膚の原料として使われています。キャプテン池辺の烏賊との出会いはアフリカ西岸サハラ沖のヤリイカ操業でした。デッキに上がったヤリイカを見てびっくり仰天!なんと体調が1メートルもあるミサイルか大砲の弾のような透き通った見事な烏賊でした。操業途中入港したサハラの酒場でもイカリング?が出たほどでこの地方では烏賊・タコはポピュラーな食べ物だったようです。次にお目にかかったのがモーリタニアからセネガルにかけての紋甲烏賊操業での化け物甲烏賊との出会いでした。何せ20キロ入りの冷凍パンに入りきれない甲イカが石ころのようにゴロゴロ網に入ってくるのですから、それも身の厚みが20㎜もあるような!これはそのままで食べるより一旦急速冷凍した刺身のほうが美味しかったです。もう一つ印象に残ったのはニューヨークからカナダにかけての「マツイカ」操業、獲っても獲ってもイカが沸いてくるようなとんでもない漁場でしたが2年間でこの海域のイカは獲り尽くしたのか以後さっぱり居なくなりました。日本のトロール船隊に狙われた漁場は大なり小なりこのような結末を迎える羽目になります。それ程日本の技術が勝っていたわけでその一翼をキャプテン池辺は担っていたのです。エッヘン!
 世界の多くの国々を訪れた割にはその町の景色は余り覚えていませんが、操業海域での魚群探知機の映像や漁の模様は未だに記憶に残っています。小生も「ヤンシュウカモメ」の端くれだったのでしょう。。。

2005/03/02

蛸(Octopus)

タコは世界中の熱帯から寒帯まで全海域に生息する軟体動物です。西洋では昔、タコは伝説上の「海の怪物」と言われ小説や映画に「悪魔の魚」として登場しています。食用として馴染みのあるタコは「マダコ」「ミズダコ」「イイダコ」などがあげられますが「ミズダコ」は全長3~4メートル、体重30~40キロと言う化け物のような容姿故このような呼び方、扱われ方をされてきたのでしょう。タコは日中物陰に隠れ日暮れとともにノソノソと獲物を探しに出てきます。好物はカニや貝類であのクネクネ曲がる足で獲物を捕捉し顎板(口に当たる)で噛みつき毒を注入し弱ってからゆっくりムシャムシャと食べます。逆にタコの天敵はウツボで、攻撃されそうになると(食べられそうになると)水を一気に吸い込み漏斗からジェット推進のように一気に水を噴射して逃げます。このとき「墨」を噴射することは皆さんよくご存じですがこの墨にはハンターの感覚器官を麻痺させる物質が含まれているといわれています。タコは餌が無くなると自分の足を食べて生き延びることから、利益の無い企業が財産処分をしながら利益配当を続けることを「たこ配当」と言うのも言い得て妙なりですね。私が三等航海士時代、西アフリカのモーリタニア沖でタコをターゲットにした操業をしましたがタコの習性はほんとにおもしろく一度海の底に潜って彼らと対面したい気分でした。日中は砂の中に潜っているため夜間のほうが漁獲量は格段に上がるのですが事業船故そんなことは言っておられず、昼夜の別なく操業をします。そこで編み出された漁法?が「タコチェーン」「タコ起こし」と言われる器具です。トロールネットの先端にこれを取り付け海底を掘り起こすような形で曳網すると砂の中に潜んでいるタコ連中がびっくりして跳ね上がりこれが網の中に吸い込まれるというまあ長閑なことをしていました。余談ですがこのときまでキャプテン池辺はタコの肌は「赤い」と信じて疑いませんでしたので「アフリカのタコは人間の肌色をしてるんですね」の質問に乗り組み員、顔を見合わせ「、、、、、、」した。食卓に並ぶ茹でたタコしか見たことがなかったのですから。タコの習性で実感できたのはゾロゾロ列を作って歩く?ことでした。それと海水の汚れたところを好む習性も加わり、同じライン上を何度曳網しても漁獲が落ちなかったのが不思議でした。
 目に見えないものを想像し、推測することは楽しいものです。なにせ正解を誰も知らないのですから気が楽です!

2005/02/04

日付変更線

皆さん新年おめでとう御座います。今年は生憎の天気で初日を拝めることは出来ませんでしたが、世界で最も早く初日を見ることの出来る所はどこだか知っていますか?それはニュージーランドの南島にあるクライストチャーチと言う都市から真東に約1,000キロ離れたところにあるニュージーランド領「チャタム」と言う島です。なぜならそこが日付変更線の直ぐ西側に位置するからであります。赤道直下の国キリバスのように180度線を東西に広くまたがる所やニュージーランドのチャタム諸島のように本国から東西に大きく離れた島々を持つところでは同じ国で日付が違うのは困るので日付変更線を東西に大きくづらしています。地球の公転によりこの時期南半球は真夏ですので同じ経度線上でも南半球の方が夜明けが早いわけで「チャタム諸島」が世界で一番早く初日を拝めるというわけです。もっとも南氷洋のように12月~2月は太陽が沈まないため元旦は一日中初日?を拝めるところもありますが。さて今年は西暦2005年、キリストが誕生したとされる年を西暦1年と定め、今年は2005年目と言うことになります。人の一生に比べればとてつもなく長いように感じられますが、紀元前2500年(今から4500年前)にはピラミッドが建造され、一万年前には日本列島が出現、50万年前には人類が誕生、2億5千万年前には恐竜時代があり、、、46億年前に地球が誕生し、、、と考えると、1946年生まれの私の58年間など宇宙規模で言えば無いに等しいのですものね。海の上に長くいると暇に任せて?ついついこんなことを考えていました。だからせめて短い人生を悔いのないよう潔く(いさぎよく)生きようと心に戒めていました。自然・人・モノを敬う心さえあれば特定の神や仏を殊更大切にすることにそれ程の意味はないと今でも思っています。昔西アフリカのモーリタニアで現地人を乗せて操業をしていた時期がありましたがモーリタニア人は一日に一度必ず太陽に向かって礼拝をする習慣があり(アラーの神への祈り)、曇りの日にはブリッジに「太陽はどちらの方向か?」と聞きに来ていました。クルクル進路を変える操業船故コンパスを見ない限りどちらが東か見当がつかないのです。面倒くさいので適当に「あっち!」と言うと彼らはその方向にしゃがみ込んで何度も礼拝をしていました。礼拝が終わる頃には太陽は彼らのお尻の方向にあるとも知らずに。信じる者は救われる、、、ですね。
今年も又一年間、海や船、魚や地球と言った話題を思いつくまま掲載しようと思います。仕事とは直接関係のない話題を掲載するキャプテンの心境をサッシて頂ければ幸いです。

2005/01/06

砕氷船

氷が張りつめた水面に航路を開くように設計された船を砕氷船と言います。もともと五大湖やバルト海のような冬季、氷で埋まる地域の水路確保のために使用されていたものが北極や南極大陸の探検で活躍するようになり広く認識されるようになったものです。
日本では1965年に海上保安庁所属の「ふじ」が、1982年には防衛庁所属の「しらせ」が建造され南極観測に貢献してきました。東神奈川のNKK浅野ドックに定期検査のためドック入りしたとき「しらせ」と隣り合わせになり見学をさせてもらいました。
私の乗船していた工船トロール(すり身母船)もふつうの船舶に比べ船首は耐氷構造のため頑丈にできていましたが砕氷船のそれは比較にならないほど頑丈でした。ふつう外板は12ミリ前後の鉄板で出来ていますが「しらせ」の船首部は厚さが1メートルもあり正に鉄の塊でした。私のホームグランドのベーリング海の流氷の暑さは、はせいぜい20~30センチでしたが、それでも全速でぶつかると船首部に凹みが出来る程衝撃は大きいものでした。砕氷船は1~2メートルの氷原を平気?で進んでいくのですから並大抵の構造では耐えられません。氷の破片がスクリュウや舵に巻き込まないような工夫も至る所にされています。薄い氷は船の推進力だけでバリバリと割って進みますが、厚い氷原に出くわすと、激突と乗り上げを繰り返しながら進む「スラミング砕氷」という方法でノロノロと進みます。船首と船尾にバラストタンクがあり水の注排水・移動を行うことで船首を持ち上げたり降ろしたりギッコンバッタンしながら一日何メートルかの前進をするのです。船乗りは気の長い人しか務まらないのがおわかり頂けるでしょう? 船のブリッジから四方を見渡し365度すべてが氷に包まれている流氷をパックアイスと呼びます。砕氷船はこれを自分の船体重量で上から押し割って進みますが、潜水艦がこういう海面に浮上するときは砕氷船とは逆に下から上に全速で突き上げて氷原に浮かび上がります。ハワイ沖で訓練中のアメリカの潜水艦が日本の水産高校の練習船に体当たりしたのはこの種の訓練中でした。余談ですが先般、中国の潜水艦が領海侵犯したさいTVのコメンテーターが潜水艦では正確な位置がでないから間違って、、、、等と馬鹿なコメントをしていましたが自船の位置も海上の様子も空さえも正確な情報は得られのです。練習船「宇和島丸」には私の後輩が指導教官として乗船していましたがさぞ無念だったことと思います。