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2004/11/04

オキアミ

年末恒例「生ずわい蟹」の世話をしてもらっている日本水産の後輩から先日嬉しい話を聞きました。小生がキャプテンとして座乗していた「竹生丸」がアルゼンチンに買い取られ南氷洋のオキアミ操業に従事しているとのこと。臼杵鉄鋼佐伯造船所で建造されかれこれ40年近くになると言うのに未だ現役で活躍している事を聞き、嬉しくなって今回は「オキアミ」について話をすることにしました。
 学名をユーファウシアスペルバと言う南極オキアミは南極大陸周辺に広く分布するプランクトンの一種です。「カッパえびせん」等のスナック菓子、養殖の餌、医薬品の原料等々幅広く利用されている事は皆さん良く知っていることと思います。南氷洋捕鯨の規制が厳しくなる中無尽蔵とされていた南極オキアミを大手水産会社が一事業として取り組み始めたのは小生が水産学生として練習船に乗船していた頃です。地球上の大陸棚のあるところ日本のトロール船有りと言われるほど世界中に展開していた日本のトロール船隊も、年々厳しくなる規制に締め付けられ、行き場をなくし我が宝幸水産も北方トロールの主力船「竹生丸」を南氷洋に投入したのは小生が一等航海士の時でした。南氷洋のオキアミ群は無尽蔵とまではいかなくても、海面が何十マイルにもわたって色が変色するほど広範囲に生息しているため、この群(パッチと呼ぶ)が曳網によってばらけないよう群の端の方から丁寧に20トン程度ずつ捕獲していきます。大きい群になると3~4日かかっても取り尽くせない程です。始末が悪いのは魚躰が非常に柔らかく20トン以上捕獲すると魚躰が潰れてしまい製品に出来なくなるのです。それと鮮度低下が早くパン立て作業(10キロパンに詰めて急速冷凍する)は2時間が限度で、それ以上時間が経過すると魚躰が黄色く変色し製品価値がなくなります。釣り好きの皆さんが釣り餌に使うオキアミもこうした苦労の末作られたものなのです。我が家のアロワナ君にもこのオキアミを与えていますが餌をやるときは「心して食えよ」と言いながら与えています。オキアミの目玉が癌の治療薬に有効という噂が流れ本社の指示により目玉だけをピンセットでかき集めサンプル製品を作ったりもしましたがアレどうなったのでしょうねえ?我が社の新規事業「光触媒」と「オキアミ」何か結びつける事は出来ないかなあ~~と考える今日この頃です。

2004/11/02

航海計器

「海は広いな~大きいな~♪♪」なんて歌ってられないほど「海」は広くて大きいのです。何せ地球の70%は海なのですからね。そんな大海原の真っ直中で自分の船の位置をどうやって知るのか?今回は航海計器についての話です。大航海時代の船乗りや探検家が未知の大陸を求めて初めての大洋を航海し未踏の地に辿り着くのは「運」あるのみなのですが、幸運にも大陸を発見しても出発した自国の港に戻る事が出来なくては偉業は世間に認められません。コロンブスもマゼランもちゃんと自国に戻ってこれたからこそ歴史に名を残せたのです。すなわち我が日本国の戦国時代、「我こそわ~~」と戦に明け暮れていた頃、西洋では陸地の見えないところでも自分の位置を知る術をもっていたのです。いくつかの天体の高度を計測し「位置の線」を海図上に引くことによって自船の位置を求める「天測」の技術を習得していたのです。紀元前にあのピラミッドを造った文明ですから当たり前と言えば当たり前ですが。小生が学生時代乗船した練習船では毎夕、毎朝「天測」実習が日課となっていました。何故夕方と朝方かというと星の高度を計測するには水平線が肉眼で見える時刻でないと高度を計測できないからです。アルデバラン・センタウリー・リゲル等々一等星の星を必死に探し、3~4個の星の計測が終わるとブリッジに戻り計算より割り出された方位線をチャートに引くと3~4本の線が交わるトライアングルが出来その中心が「推測船位」となるわけです。第二次大戦中、日本帝国海軍がこの「天測」で位置を出していたのに対し連合国の艦船は「デッカ」「ロラン」と言った陸上基地からの電波の到達時間差による位置測定方法を既に運用していました。負けるはずです、、、ね!。
 小生が三等航海士のころは「ロラン」航法が主力でしたが吹雪になると電波が乱れたり、陸上のロラン局でカバー出来ない海域では全く使い物にならず、精度も誤差界50メートルと言われるほどでした。人工衛星による航法システム(インマルサット)が民間船舶で運用されるようになったのは小生の一等航海士時代でした。南氷洋のような海域では衛星の軌道から離れているため数時間に一度しか電波を受信できませんがベーリング海等船舶の多い海域では常に衛星からの電波をキャッチできるため精度は誤差界5メートルと言われていました。アポロ13号が月面着陸を断念して奇跡的に地球に帰還した時、大気圏への突入角度が少しでも狂うと燃え尽きてしまう危機にさらされた事に比べれば海の上の50メートル差なんて無いに等しいのです。海図上の50メートルなんて鉛筆の芯程しかないのですから。っま、おおざっぱな人間になるわけです。我が社にも「おおざっぱ」がたくさんいるけど彼らも昔は船乗りだったのかな???

2004/10/04

低気圧と台風

台風16号が県下を直撃し猛威を振るいましたが皆さん被害はありませんでしたか?
 台風についてはvol.2で 説明済みですが「低気圧」の定義はご存じでしょうか?台風に比べて至極簡単「周囲より気圧の低い所」を低気圧、高いところを「高気圧」と言うだけなのです。南太平洋上の海水温が年間を通じ26度C以上の海上で、熱のため水蒸気が飽和状態になり、そこに太平洋高気圧の比較的冷たい空気が北東より流れ込むため上昇気流が発生します。地球の自転により渦巻きは北半球では半時計方向となり時間と共に勢力が大きくなっていきます。これが熱帯低気圧の誕生ですが何故台風は日本に向かってくるのでしょう?台風の予想進路がズバリ的中するにはそれなりの法則があります。低緯度で発生した熱帯低気圧は原則的には貿易風(北東から南東に向けて一年中吹く風)の影響を受けて西進するのが普通です。又太平洋高気圧の周辺に沿って進む習性や気圧の谷・前線のある方向へと進んでいく習性の為、西進して中国大陸に上陸するもの以外は上記条件を満たす環境海域へと北西進してきます。中緯度以北は偏西風(西から東へ一年中吹く風)が吹いているためと、日本列島付近が太平洋高気圧の周縁部に当たることから、九州南岸あたりから急に進路が東寄りに変わります。台風が急に進路を変えるこの点を「転向点」と言います。太平洋高気圧の張り出し具合並びに大陸の低気圧や高気圧の気圧配置によりこの転向点がある程度予想出来るためテレビの天気図であれほど正確な進路やスピードが示されるわけです。低気圧や台風の影響を推測するときその地域が台風の進行方向に対して右半円(東側)に当たるか左半円(西側)に当たるかで影響力は全く違います。右半円は台風の進む方向へのベクトルと風が半時計方向に回り込むベクトルが一致するため左半円に比べ風雨共に強いのが特徴です。今回の宮崎・大分の被害が大きかったのはこのせいです。
 さて、サバイバル知識?をもう一つ!手元に何もない状態で海や山で嵐にあったとき低気圧の中心を概ね知る方法があります。風を真後ろ(背中)に受けるように立ち両手を水平に伸ばします。このとき低気圧の中心は左手前方30度の方向に位置することが分かります。又風向の変化で低気圧の中心が自分の位置の東西どちらを進んでいるかも判断できます。風向が東→北→西と半時計方向に変化するときは東半円に、風向が東→南→西と時計回りに変化するときは西半円に自分が居ることが居ることが分かります。昔甲種船長の国家試験の筆記試験に合格し、口述試験を受けた際、この低気圧の風の変化に対する「船舶の避航方法」について聞かれたことがあります。試験管曰わく「風向の変化を如何に判断し、如何なる避航動作をとるべきか」と。受験生のキャプテン(このときは未だ甲種一等航海士免許)応えて曰わく「事業船に避航等有りません、時化が過ぎるのを戦場(漁場)でひたすら待つのみ、過ぎ去ったら即操業できる体制を整えておきます」と。結果は見事不合格でした!

2004/09/18

ドック

船の建造、修理、係留に使われる施設の総称を「DOCK」と言い係留ドック、乾ドック(ドライドック)、浮きドックの三つに大別されます。係留ドックはコンテナ専用船や鉱石運搬船、自動車専用船等が決まった施設内に係留し荷物の積み降しをするため広いスペースが確保されているのが特徴です。大分では我が家の近くにある大在コンテナターミナルが大型のガントリークレーン(四つ足の櫓)を二機備えた本格的な係留ドックとして有名です。
 ドライドックは船の建造や船底部分の修理などを行うときに利用するドックです。三方をコンクリートや石で固めてプール状にし、海に面した側に扉を付けた物で満潮を利用して船を内に引き入れ扉を閉じ、プールの中の海水をポンプで排水しキール盤の上に船をどっかりと座らせ、丸太やロープで船を固定させ建造・修理を行う物です。小生が乗船していた「竹生丸」「津田丸」は臼杵鉄鋼佐伯造船所のドライドックで建造されました。殿や佐野ちゃんがその頃佐伯の町に居たと思うと何だか不思議な気がします。
 浮きドックは断面が凹型の鋼製の箱舟状の浮体で、凹型の中空部に海水を入れて凹部を沈ませた後、船をその中央部分に引き入れてから排水をします。排水が進むと凹型のドックが船体を持ち上げながら浮いてきて海面上に船底部が持ち上がる仕組みです。これはドライドックに比べ安価に造ることが出来、海上に浮かべて作業が出来るなどの利点があります。
 我々船乗り(今は陸に上がった河童ですが)が新船艤装(新しく船を建造すること)に立ち会えるのは希です。小生は幸運にも時代・環境にも恵まれ「竹生丸」「津田丸」と言う国内最大級のすり身工船(トロール母船)の建造に立ち会うことが出来、しかもそれが出身地の造船所であったことは幸運の何物でもありません。
 ドックにはドックハウスと言って乗組員や工務の人たちが寝起きする施設があります。練習船でドック入りした三菱重工長崎造船所や船長時代頻繁に入港したNKK等のドックハウスは一寸したホテル並でしたが佐伯造船所は安アパート風なローカルなドックハウスでした!長崎造船所のドックハウスは明治時代の頃はグラバー邸の上にあったそうで今でも観光名所になっています。NKK(日本鋼管)のドックハウスに入っていた頃は実業団バレーの全盛期でNKKの選手と一緒に宿泊することもありました。選手がハウスを出るときは必ず「追っかけ」女学生が門の前にいてサインをせがんでいましたが小生も一度選手になりすまし「ikebe」とサインをしたことがありました。決して彼女たちを騙したわけではなく「サイン下さい~~」と言うリクエストに応えただけですから念のために。

2004/08/03

船乗り言葉

先ずは「船長」、小生の船長時代は乗組員からいろいろな呼び方をされていました。一般的な(常識的な?)乗組員からは「キャプテン!」「船長!」でしたが、昔気質の歳とった連中やその筋系の若い連中からは「親父っさん!」(これを陸に上がっても使われるときはホント迷惑しました)、スペインに行くと「カピタン!」、ドック中最も慣れ親しんだ清水の街のお姉さん方は「池ちゃ~ん!」でしたけど。。。
 一等航海士は「チーフオフィサー」が訛って「チョッサー!」、甲板長は「ボースン!」、繰機長は「ナンバーワンオイラー」が訛って「ナンバン!」、通信長は「局さん!」等々一般セーラー(甲板員)、オイラー(機関員)以外は役職の通称名で呼ぶのが習慣でした。小生が船乗りの仲間入りをして最初に耳にした船乗り言葉は「カタフリ」でした。同じワッチ開けのセーラーから「たまには俺達の部屋にカタフリにおいでよ」と言われ、何を振るんだろう?と思ったら「カタフリ」とは陸の「油を売る」に似た意味で「雑談をする」の意味でした!
 面白いものでは「ガンチョ」と言う言葉も良く皆さん使っていました。スペインのラスパルマスというカナリヤ諸島にある港町が当時の日の丸艦隊(日本の遠洋トロール船隊)の海外最大の基地であったことからスペイン語が英語より重要視されていたこともありスペイン語の隠語が多く使われていました。「ガンチョ」とは「盗む」と言う意味で盗難品の市場のことを「ガンチョ市場」と呼んでいたり、領海侵犯をして操業することを「ガンチョ曳き」と呼んだりしていました。
 ブリッジでの操舵命令は全て英語です。右一杯に舵を切る時は「ハードスタボード!」、左に少し(5度程度)舵を切るときは「ポートイージー!」、舵中央の時は「ミジップ!」、現進路を保てと言うときは「ステディー!」と言う具合にキャプテンが号令をかけると舵を握っている操舵手(クオーターマスター)が復唱して「ハードポートサー!」と言うように語尾に「サー」を付けて応えます。始めての港に入港するときはパイロット(水先案内人)が乗船しキャプテンの代役をします。ニューヨークに始めて入港したとき年輩のアメリカのパイロットが乗船したときのこと、あまりの早口に何度も「ワンスモープリーズ!」を繰り返していたら突然「面舵一杯~!」とか「ヨーソロー」とか昔の日本の船乗り用語が飛び出てきてびっくりしたことがあります。面舵は右、取り舵は左、ヨーソローは「宜しく候」の略語で今の進路を保てと言う意味です。我が社も「全速前進、ヨーソロー!」で行きたいものでね!

2004/07/16

潮汐(ちょうせき)

釣りをされる方は特に汐の満ち引きには敏感ではないかと思いますが今回は「潮汐」についてやや科学的?なお話をします。
 月は太陽に比べるとはるかに地球に近いため潮汐の主要な原因となります。地球に及ぼす月の引力は地球が太陽を中心に公転していることからおこる遠心力と全体的に釣り合っています。遠心力の大きさは地球上何処でも同じですが引力は月からの距離で異なります。すなわち月に面した地表では引力が遠心力より大きく、裏側(月と反対側)は遠心力が大きくなります。そのため月に面した側では海水は月の方に引かれ盛り上がり、反対側でも海水が月と反対側に引かれ盛り上がります。すなわち「満潮」「干潮」は地球上で常に二箇所発生していることになります。
 地球が自転しているため世界のほとんどの地域で一日二回の満潮と干潮が起こることになります。月と同様太陽によっても地球の両側で海面が盛り上がりますが太陽は地球から遠いため潮汐を起こす力は月の半分程度です。満月と新月には太陽・月・地球が一直線に並ぶので潮汐を起こす力は最大になり、これを「大潮」と呼びます。逆に上弦の月、下弦の月ではお互いの引力がうち消されるため潮差が最小になりこれを「小潮」と言います。海には大きく分けて二つの種類の流れがあります。その一つがこの潮汐によって起こされる「潮流」です。潮流は時間によって早さ、方向が変化し更にその地域の地形によって独特な動きをします。潮差の大きいところではカナダのファンディー湾が有名で大潮の時には18メートルにも達します。私が遠洋航海で訪れたオーストラリアの北岸、ポートダーウインと言う港でも潮差が6メートルもあり、入港時タラップを降りて(船の上から岸壁に)市内観光に出かけたの帰船したら船のマストしか見えず、今度は岸壁から船のアッパーデッキに下向きにタラップを降りたことがありました。船乗りをしているとこういった自然の力、宇宙の力を実感することが多々あり私のように世間離れをしていくのであります。ハイ! 潮汐の持つエネルギーはこのように偉大なもので、この力を利用して世界各地で潮汐エネルギーを利用した発電所が稼働をはじめました。潮汐の影響を受けやすい河口にダムを建設し上げ潮、下げ潮の潮流でタービンを回し電気を作るといったプロジェクトです。海の恩恵の大きさは計り知れないものがあるのです!

2004/06/16

領海

私の船乗り時代、「領海」はその国々によって距離が違っていましたが近年全ての国が「12海里」に統一されました。1海里(1マイル)は1,852メートルですので約22キロがその国の領海と言うことになります。領海の基になるのが「基線」と言って領土(陸地)と海岸線(最低低潮面)の接するところを指します。この「基線」から200海里までを「経済水域」と言って大陸棚や石油資源の保護を目的として作られた水産界にはとてもやっかいな水域があります。私が船を降りる原因になったのもこの「経済水域」のお陰?です。
 大陸棚を有する国々が自国の水産資源や石油資源を守るため国連海洋法会議で半ば強引に法制化されたもので所謂「200海里法」と言われるものです。海洋国日本にとってこれは致命的な国際法となり(法外な入漁料や製品に対する関税を課せられ採算割れを起こす)これを機に大手水産会社は遠洋漁業から撤退を余儀なくされた訳です。この経済水域より外側の海を「公海」と言い航行、上空飛行などが自由に行える水域となっています。経済水域は資源利用やその他経済活動の面では「領海」と同じですが単なる航海や飛行に当たっては「公海」と同じ性格を持ちます。領空(領土と領海で囲まれた区域)や領海に対する認識はその国々で違いますが先進国の中では我が日本は桁外れに他の国々より意識が低いと思います。領空侵犯、領海侵犯した航空機や船舶が撃墜されたり拿捕されたり砲撃されたというような話は「世界の常識」なのですが平和な?日本では北朝鮮やロシアの航空機、船舶が侵犯しても「出て行け~」と追い出すだけ、、、島国根性の日本人のはずなのに何処かが狂っているとしか思えません。もっとも私が三等航海士時代、アフリカ西岸では常識的?に領海侵犯を繰り返し他社を大きく引き離す漁獲量を上げていたことを思えばあまり偉そうなことは言えませんが。機関銃で撃たれても性懲りもなく領海侵犯をして生産を上げようとした心意気こそ「大和魂」だ~~と勘違いしていた船長さんも居たけど、今思えば暢気な時代だったんです、あの頃は!
 詳しい話は「キャプテン池辺の回顧録」の三等航海士編を読んでみてください。「領海」とはどんなものか少し実感できると思います。何事も中に踏み込まなければ分からないというのが人間の心理、社内旅行の国外組に数人領海侵犯を実行した強者がいましたが、彼らに聞けば「領海侵犯」をしたくなる心理が理解できるかもしれませんよ。

2004/05/14

大陸棚

大陸あるいは島の周縁部に広がる傾斜の緩やかな海底を大陸棚と言います。北米大陸西岸の大陸棚の様にベーリング海に向け数百キロに及ぶ所も有ればアフリカ大陸東岸の様に数キロで深海へと落ち込む海域もありその規模は様々です。大陸棚内部にはバンクと呼ばれる更に水深の浅い部分があり、これに海流がぶつかり湧昇流(ゆうしょうりゅう)が発生し海底から栄養価に富んだ堆積物が供給されプランクトンが多量に発生します。従って魚類の生息しやすい環境が形成されることから大陸棚が好漁場と成るわけです。日本近海では大和堆(やまとたい)、武蔵堆(むさしたい)が有名ですが世界的に好漁場を持つ大陸棚としては北海、北米南東岸、ペルー、アラスカ湾、ニューイングランド等があげられます。ニュージーランド東岸のように一旦大陸棚が深海へと落ち込んだのち再び水深1,000メートル位の所にバンク(水深200メートル位)が出現する様な海域もあります。
私の様な船乗りは海原の真っ直中(漁場)にいても陸の地図と同じように今自分の船が何処にいるか魚群探知機に映し出される等深線の形状を見ただけで分かるほど海底の起伏は複雑なものです。地球の三分の二は海なのですからもっともっと海洋開発がなされても良いのになあと水平線をぼんやり眺めながら嘗てのキャプテンは深海の模様を想像しながらパイプを燻らせていました。海洋版「未知との遭遇」というかまあこんな調子で一年を過ごすのですから外野から「変人」「奇人」と呼ばれても仕方ないのかもしれませんね。
 ところで最近問題になっている「尖閣列島」の領有権もこの大陸棚と深い関係が有るのですよ。大陸内部にある国々の国境は普通川や湖、山の稜線などで「領土」を決めていますが日本のような海洋国や海に面した国々では「領土」すなわち陸地と沿岸の一部すなわち「領海」をもって「領土」としています。潮の満ち引きがある海岸線では領海の元になる陸地と海との境界線を決める必要があります。(潮の干満の大きいところでは数メートルの差が有るほどですから)
 次回は「領空」「領海」「領土」についてのお話をすることにして取りあえず今月は日本国を脱出し直に「領空」「領海」「領土」を肌で感じてきましょう!余り深入りせずに!

2004/04/13

別府湾に鯨が迷い込んでマスコミを賑わしていますので今回は鯨のお話です。
 ほ乳類の中で誕生から死までの生涯を海中で過ごすのは鯨だけです。種類は大きく分けて二種類、シロナガスクジラやセミクジラに代表される髭鯨とマッコウクジラやゴンドウ鯨等の歯鯨です。シロナガスクジラは体長30メートル、体重200キロに達する程でっかい奴もいますが現在ではほとんど絶滅に近い状態です。余談ですが私が幼少の頃は南氷洋捕鯨が未だ盛んな頃で当時のプロ野球球団「大洋ホエールズ」は新人の補強の為規定の捕獲数を誤魔化して一頭余計にシロナガスを捕獲してそれを契約金にしていたと言う秘話があるほど商品価値?のあるものでした。
 髭鯨は大きな口の中に簾(すだれ)のような髭が何百本あり、一日中大きな口をパカッ~と開けて泳ぎオキアミを何百トンも吸い込むようにして食べます。歯鯨はその強固な歯で海豚(イルカ)や海馬(トド)等をパクパクムシャムシャと食べます。捕鯨船の友人にもらった鯨の歯で作ったタイピンやカフスボタンは縁起物として大切に使っていますがこれも船乗りならではの恩恵かもしれません。鯨は言葉を話すことでも有名ですが脳の大きさは象についで2番目、体重比もヒトについで2番目に大きいことからもイルカ同様利口さが頷けます。潜水能力も血液量が多いため酸素を充分体内に蓄積できることから悠に1時間は潜水出来ます。捕鯨船のキャッチャーボートが鯨を追いかけ捕鯨砲を撃ち込むときは最初に鯨が潜水をしたときの方向から次に鯨が苦しくなって浮上する位置を感でつかみ船首の前方に鯨が浮上した瞬間、ドカーンと銛を打ち込みます。銛は鯨の体内で小爆発をするようになっているため撃たれた鯨は数分で絶命します。その鯨が沈まないように空気を注入しブイをつけて次の獲物へと船を走らせる、、、グリーンピースが聞いたら怒り狂う様なことをしてきたことが日本捕鯨の実体ですが太古の昔より鯨を食料としてきた海洋国にしか分からない現実かもしれません。
 高崎山に「うみたまご」が完成するのも近々ですがイルカのショーも企画されてイルカ?分かりませんが鯨もイルカも全く同じ鯨科なのですよ。体長4~5メートル以下の鯨をイルカと呼んでいるだけです。水族館を訪れるとき子供さんに又はガールフレンドに威張って説明してあげて下さい。

2004/03/03

台風

気象に興味のある人でも「台風」の定義を知っている人はあまり居ないのではないでしょうか?
 台風とは東経180度以西の北太平洋、東シナ海で発生した熱帯低気圧のうち最大風速が毎秒17.2メートル以上のものを指し、タイフーンとも呼ばれます。熱帯低気圧はその発生海域で呼び方も違ってきます。メキシコ湾、カリブ海で発生するものを「ハリケーン」、インド洋やベンガル湾で発生するものを「サイクロン」と言います。キャプテン時代は主にアラスカ湾や低気圧の墓場と言われるベーリング海での操業が主体だったため時化には慣れっこになっていましたが航海士時代2度訪れたニューヨーク沖でのハリケーンには流石の河童も度肝を抜かれました。ベタ凪の晴天が数時間の内に大時化となり瞬間最大風速が50~60メートルにも達する恐っトロシ~~時化にも度々遭遇しました。波長300メートル以上のウネリの波頂(波のてっぺん)は強風で吹き飛ばされ海面はその泡で一面真っ白になります。風波のため船体は傾いたまま、ただひたすら低気圧の通過を待つのみ、自然の力の大きさに比べ人間のなんと小さいことかと無神論者の私でも「神様お助け!」と祈る気持ちにも何度かなった程です。がしかし幸いなことにハリケーンは速度が速くアメリカ大陸に上陸するまで1~2日しかかからず、その間だけ神様が見捨てないで居てくれたら直ぐ又ベタ凪の好天になるのです。ベーリング海はそうはいきません。低気圧の墓場と言われるだけあって大陸から発達しながら東進、北上してきた低気圧がベーリング海で行き場を失い停滞するので時化が何日も続くのです。その恩恵?としてアラスカに棲む「白フクロウ」など珍しい鳥が船上に迷い込んだりもしますがやはり凪の海が一番です。どんな大時化に遭遇してもあの巨大な鉄のかたまりが沈まないのは日頃からあらゆる状況を想定し対策を講じているからです。その基本となるのが「5S」なのです。
 海も陸も真理は一つ、「自分自身の5S並びに環境の5S無くして幸せな人生は送れません」

2004/02/21

氷山

先日、NHKのプロジェクトXで「南極観測船宗谷」のドキュメントを観て、20年前一等航海士時代に2度南氷洋にチャレンジした頃を思い出しました。そこで「海の散歩道」の第一回は「氷山」についてお話ししようと思います。
 氷山の形を見ただけでそれがどの海域のものか直ぐに分かることを皆さんご存じですか?
南氷洋の氷山は南極大陸に何万年もの間に積もった雪が氷となりそれが重力で海面に押し出され、やがて重さに耐えかねて洋上に浮かんだもので「テーブル型」と言う平べったい形をしています。従って大きいのになると周囲が10キロ近くもあるような島のような氷山も多々見ることが出来ます。
 それに比べ北大西洋の氷山は切り立った山の氷が崩れ落ちフィヨルド等に流れ出たもので「マウント型」と言われる尖った形をしています。タイタニック号が衝突した氷山はこれにあたります。デカプリオちゃんが舳先に立っていたから前が見えなくて衝突した?なんて事はありませんが氷山の7割近くは海面下に沈んでいますので意外と衝撃は大きいのです。この他に北極海、ベーリング海等に浮かぶ氷山は海が凍って出来たもので氷原を形成します。これが気温の上昇などで切り離され海流や風によって流されてくるものが「流氷」です。これらは塩分を含んでいるためウイスキーの「水割り」用の氷にはなりませんが南氷洋の氷山は「水割り」に最適です!  これら氷山は何年もの間洋上に浮かんでいるため徐々に解けて小さくなりやがて比重の逆転が起こり上下が逆になります。長年水面下にあった部分が海面上に浮かぶため色は白から青に変わります。これをブルーアイスと呼びますが時化た日などは肉眼では非常に見えにくく船乗り泣かせの氷山です。
 「氷山点々たり南氷洋 我粉骨砕身魚群を追う」